スポーツコメンテーター、レーサー
スポーツコメンテーター、レーサー
愛知県知多市
現役時代は、その豪快な風貌と性格、そして愛嬌のある笑顔から「ジャイアン」の呼び名で多くのファンに愛された。
高校卒業後、ドラフト2位指名を受け、中日ドラゴンズに入団。 1996年に本塁打王を獲得するなど中軸選手として活躍。 その後、 オリックス・ブルーウェーブに移籍。2005年 からは、東北楽天の創設メンバーとして活躍。
ベテランの粋に達してもなお第一線で活躍する姿は、「サラリーマンの星」として大きな支持を集めた。39歳での 43本塁打、41歳 での39本塁打は年齢別で最多を記録。さらに、2011シーズンには史上2人目となる40代での100号本塁打を記録、 また通算403本塁打のうち半分以上を35歳を過ぎてから放つなど衰え知らずのホームランアーティストとして名を馳せた。
引退後はスポーツコメンテーターとして活動する傍ら企業や学生向け講演の講師や「TOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Race」のレーサーとしても活動中。
「3度のクビから現役27年」
中日→オリックス→楽天→中日と渡り歩いてきた中で得た教訓、 様々な監督を見て得た“リーダー論”などをお伝えします。 外国人投手にデッドボールをぶつけられた時だけマウンドに向かったエピソードや、 監督とケンカしたエピソードも交え、楽しめる講演になっています。 なかでも野村克也監督との出会いが「19年間何も考えずに野球してきた」自身の考えを 大きく変えるきっかけとなり、2007年には史上最長の間隔となる 11年ぶりのホームラン王を獲得できた秘話もお話しします。
「目標達成のためのセルフマネジメント」
ベテランの域に達する年齢になってもなお自己変革と成長をし続けてきた自身の経験を踏まえ、 同年代及び若い世代に向けたセルフマネジメントの方法を伝授。 華々しい道だけではなく、挫折を味わい自暴自棄になった時期も歩んできた25年のプロ野球人生。 何度も立ち上がり、前を向きチャレンジし続けるスピリットの根底にあるものとは? 成功と挫折の中で、育んできたものとは?
「伸びる人材・結果を残せる人材とは」
若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますが、若いころの苦労は必ず将来の糧になります。 どんな人が将来伸びるのかについて、自分自身の経験をもとにお話します。 その他、結果を残せる人材になるために部下に持ってほしい思考法や 上司とうまく付き合う方法について伝授します。
「“欲”に忠実になれ!そして目標を達成しろ!」
プロ野球生活30年の中で見てきた、伸びる選手の条件の一つ「欲」。 「スターになりたい」、「旨いもんが食いたい」、「お金を稼ぎたい」、「女の子にモテたい」、 「いい車に乗りたい」等、己の「欲」を大事にして目標にガムシャラに向かう事の大切さを力説する。 「オレはギラギラした奴が好きだ。もっとギラギラした奴、出て来い!」と若者に向けて熱いメッセージを送ります。
「上司とはどうあるべきか」
自分を変えてくれた監督とのエピソードを通して、 上司とはどうあるべきか、上司に持ってほしい思考法についてお話します。 また、自身の後輩指導の経験をもとに、部下との接し方についてもお話します。
「“干渉”する事が教育の基本」
自身もオリックス、楽天時代に単身赴任で10年ほど家を空けている中で、毎日電話で「今日は学校どうだった?」、「今、何が楽しいんだ?」と会話してきた。 子どもの教育、若手選手の教育、いずれもハッキリやって良い事、悪い事をしっかり教えるべきだと言う。 それは、言いづらい分野の事も含めて。 基本は関心を持つ事で、更には子どもに干渉し、より子どもが抱えている問題、課題に一緒に向き合い、自分が関心を持っている事も伝える。 日常でも、近所で集まって騒いで周囲に迷惑をかけている若者がいると「うるさい!」と喝を入れるタケシの教育論。
「ジャイアン流コミュニケーション術」
家族や仲間との絆、師匠との出会い、チームメイトとの関係を通して育んできた 「ジャイアン」こと山崎武司流のコミュニケーション術を紹介。 会社での上司や部下といった関係、学校での友人関係、そして家庭での親子・兄弟の関係など、 多くの身近なシーンで役立てられる実践的な内容です。 数々の成功と苦労を経験してきた「ジャイアン」山崎武司が語る処世術は必見。
「東日本大震災からの復興のために今できること」
7年間在籍した東北楽天時代に直面した東日本大震災。 プロ野球選手として出来ること、一人の人間として出来ることは何だったのか。 そして実際に山崎武司や東北楽天の選手たちがとった行動とは? 被災地の悲惨な実態、今なお色濃く残る震災の爪痕とは? 東北に勇気を、東北に光を、自らが伝道師となり広く深く、真の復興のために、 今日本国民一人ひとりが出来ることをテーマに語ります。
「ノムラ監督に教わった事」
「ノムラ野球」との出会いは、 「何も考えない野球」から「シンプルな野球」へと考えを変えるきっかけとなった。 「根拠がある三振だったらいい。根拠のあるミスは次につながる。」 このアドバイスにより三振への恐怖が消え、当時37歳にしてホームラン、打点の二冠のタイトルを獲得。 以降、「自分が考え抜いた配球で、違うボールが来て三振だったらしゃーない」と開き直れるようになり、 各場面で自身のパフォーマンスが飛躍的に向上した。 上司にも、部下にも、学生にも、老若男女通ずる不偏の成功法則を、 「分かりやすく野球をやらせてくれるノムラ野球」である監督とのエピソードとともにお話しします。
東海テレビ『ドラHOTプラス』レギュラー
ニッポン放送『ニッポン放送ショウアップナイター』解説
東海ラジオ『東海ラジオ ガッツナイター』解説
日本テレビ『秘密のケンミンSHOW』
TBS『S☆1』
中日新聞 解説
日本経済新聞(電子版) 連載
夕刊フジ 解説
河北新報(朝刊) 連載
オートバイ(月刊) 連載
カーセンサー 連載
中日スポーツ 解説
『野村監督に教わったこと:僕が38歳で二冠王になれた秘密』
『野村監督に教わったこと:部下は上司で生き変わる』
『奇跡の超弾道:進化を続ける心技体』
『今、意味がないと思うことに価値がある』
『リアルジャイアンから悩める君たちへ』
『復活力:東北、ありがとう』
『進化』
『さらば、プロ野球:ジャイアンの27年』
『40代からの退化させない肉体:進化する精神』